俳優・宮内洋の転機『仮面ライダーV3』特撮ヒーロー作品がくれた誇り「つらいことも苦しいこともいっぱいありました」 [朝一から閉店までφ★](*´д`)wwwww

1: 朝一から閉店までφ ★ 2024/06/14(金) 18:59:30.71 2HhLkhrZ9.net
俳優・宮内洋の転機『仮面ライダーV3』特撮ヒーロー作品がくれた誇り「つらいことも苦しいこともいっぱいありました」閉塞性動脈硬化症の手術で心臓には人工血管

宮内洋の「THE CHANGE」インタビュー#2
宮内 洋
2024.6.14

 1968年、東映ニューフェイスに合格。以後、多くのテレビドラマ、映画に出演してきた俳優・宮内洋。数々のアクション作品に出演した彼の「THE CHANGE」とは?【第2回/全2回】

https://futabasha-change.com/articles/-/921?page=1

 僕にとって転機となる作品は『仮面ライダーV3』(TBS系)でした。主演することが決まったあと、まだ放送中だった最初の『仮面ライダー』を見る時間がなかったので、
ビデオデッキを買って録画して研究しました。当時のビデオデッキは20万円ぐらいしました。ものすごく高かった。オープンリールで、30分を録画するのに1万円ぐらいかかったんです。 

 番組が始まると、オートバイを片手で運転できる練習を始めて。次に両手を離してもバランスを保てるようになる。そこから、走るバイクの上で変身ポーズが生まれました。

 その後、『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET系)、『快傑ズバット』(東京12チャンネル)、『ジャッカー電撃隊』(NET系)、と特撮作品が続きます。他にも必殺シリーズの『助け人走る』(TBS系)、『刑事くん』(TBS系)、
『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)、そして、再び丹波先生と『Gメン’75』(TBS系)と、デビューから途切れずにドラマに出続けていました。渥美清さん主演の『ヨイショ』(TBS系)というドラマもありましたね。

 ず〜っと毎日、撮影につぐ撮影で。しかも東京と京都の往復でね。作品が重なることもある。夜中の1時ぐらいに帰って、2時間ぐらい寝て、夜が明ける前にロケ地に自分でクルマを運転して向かって。そんな状態でケーブルカーの上でアクションをやったりしていたんですよね(笑)。

 特撮ヒーロー作品というのは、日本で独自に発展したもので、海外にもファンが大勢いますよね。僕は何本もの作品でヒーローを演じられたことを誇りに思っています。

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■僕はストレスをためない
https://futabasha-change.com/articles/-/921?page=2

66: 名無しさん@恐縮です 2024/06/14(金) 20:30:52.38 RLVTQXxk0.net
ズバッと参上

102: 名無しさん@恐縮です 2024/06/14(金) 21:48:17.65 uX5dABw00.net
真摯には向き合ってただろうけど当時からちょっと腹がだぶついてたよな
ルックスだけならやはり藤岡弘が格好よかった

147: 名無しさん@恐縮です 2024/06/15(土) 01:43:26.58 +lrw+yDs0.net
Vシネとかにも出てたな

167: 名無しさん@恐縮です 2024/06/15(土) 07:57:01.77 RG6MJjaF0.net
若手の頃から渡瀬恒彦の一番の舎弟であり後に丹波哲郎の一番弟子でもあった宮内洋
本人のアクションやりたがりは兄貴分だった渡瀬の影響がかなり大きい

引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1718359170/

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