【野球】負けの数は信頼の証? 最多は金田正一298敗 現役は燕石川【敗北数】(*´д`)wwwww

1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/03/01(金) 07:45:46.75 0U7Hp/We9.net
通算は金田正一の298敗だが400勝をマークしている

投手の「敗北」は不名誉な記録であり、NPBの表彰項目にはなっていない。
しかし、敗北は、先発登板が多い投手にはついて回る数字であり、敗北数を増やしながらも起用される投手は、
チームの信頼が厚いといえる。ある意味で「投手の勲章」ともいえる数字だ。

○NPB通算敗北数10傑()は実働期間。勝利数と勝敗差も出した。

1 金田正一 298敗(1950-1969) 400勝/+102
2 米田哲也 285敗(1956-1977) 350勝/+65
3 梶本隆夫 255敗(1954-1973) 254勝/-1
4 東尾修 247敗(1969-1988) 251勝/+4
5 鈴木啓示 238敗(1966-1985) 317勝/+79
6 小山正明 232敗(1953-1973) 320勝/+88
7 長谷川良平 208敗(1950-1963) 197勝/-11
8 平松政次 196敗(1967-1984) 201勝/+5
9 松岡弘 190敗(1968-1985) 191勝/+1
10 坂井勝二 186敗(1959-1976) 166勝/-20

1位金田、2位米田は通算勝利数でも1位、2位であり、多く登板する中で敗北も増えていったといえるが、3位には通算254勝で9位の梶本隆夫がつけている。
梶本は、米田とともに「ヨネカジコンビ」として阪急のマウンドを長く守った左腕だ。
しかし200勝以上の24投手の中では唯一負け越している。
阪急は1960年代後半には強豪チームになったが、梶本が主戦投手だった時代は万年Bクラス。好投しても打線の援護がなくて黒星が付くことが多かったのだ。

7位の長谷川良平も、弱小だった頃の広島のエースとして長年投げたが、勝ち星はなかなか上がらず。200敗しているが200勝には届かなかった唯一の投手となった。
しかしエースとして活躍した功績が認められ、2001年に殿堂入りしている

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190301-00308361-fullcount-base
3/1(金) 7:20配信

7: 名無しさん@恐縮です 2019/03/01(金) 07:55:31.12 yDhDVJP40.net
子供の頃、中日に1年間で0勝15敗という投手がいた記憶

14: 名無しさん@恐縮です 2019/03/01(金) 08:10:48.95 JMGtKVxI0.net
勝率低いやつはエースと言わない

32: 名無しさん@恐縮です 2019/03/01(金) 08:54:14.70 4awKV4Vx0.net
東尾ってキャリア終盤の結構ギリギリまで黒星先行だったよな

96: 名無しさん@恐縮です 2019/03/01(金) 12:19:30.73 XMhfVAhf0.net
阪神暗黒時代の藪とか毎年5勝15敗のイメージ

156: 名無しさん@恐縮です 2019/03/03(日) 13:34:53.88 EZGwtT1a0.net
ヨネカジ 604-540

ヨネの晩年の移籍後の数字を除いても、二人で阪急で600勝近く。負けの数もすごいが(笑)
小山村山を上回る、最強の先発二本柱。

199: 名無しさん@恐縮です 2019/03/04(月) 12:28:11.34 m1PPUYyF0.net
近鉄は弱小だし晩年はラビット全盛期
しかも超箱庭時代で防御率もあの江川と同等
投手史上最強は鈴木草で確定だな

引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1551393946/

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