【上皇陛下】 上皇さまに「男だねえ」故・石原慎太郎氏 反皇室でも最大級の賛辞を送った政治家の気風 [朝一から閉店までφ★](*´д`)wwwww
1: 朝一から閉店までφ ★ 2022/02/05(土) 18:28:51.32 CAP_USER9.net
2022/02/05 11:57
筆者:永井貴子
2月1日に89歳で亡くなった元都知事で作家の石原慎太郎氏。若いころから皇室について公の場で率直な意見を延べ、皇室と国民は、どのような関係であるべきかーーそう問いかけ続けた人でもある。過去の発言や原稿から見える皇室観から石原慎太郎という人間をいまいちど振り返りたい。
* * *
1959(昭和34)年4月10日、世紀の恋愛と評された明仁皇太子と美智子さまのご成婚が執り行われた。
日本中が熱狂したこの時に起きた「事件」を記憶している人は、もう少ないかもしれない。
おふたりの乗ったご成婚パレ―ドの馬車が二重橋を出て祝田橋を渡ろうとした直前、一人の少年がおふたりに向かって投石し、馬車によじ登るという事件が起きたのだ。
それから数カ月後。若き青年であった石原氏は、月刊『文藝春秋』8月号に、「あれをした青年」という原稿を寄せた。
石原氏が書いた「あれをした青年」とは、投石事件を起こした少年のことだ。
騒動のあと、この少年が石原氏を訪ねてきたのだという。そして、天皇制への反発や奉祝ブームへの違和感から投石した心情を訴えたそうだ。石原氏は、少年に対して、こう共感を寄せた。
石原氏は、対象が皇室であろうと自らの考えをまっすぐに論じている。
石原氏が生まれたのは1932(昭和7年)。上皇さまより一つ年上で、ともに10代前半で終戦を迎えている。
皇室に対して不信感を抱き続け斜めに見る姿勢は、戦争を体験した世代としては珍しいことではない。
その石原氏の皇室観が如実に見えたのが、五輪招致の一件だ。
2006年、3選をかけた都知事選で石原氏は、公約として東京への16年夏期五輪招致を掲げた。石原氏は、『招致の顔として、皇太子ご夫妻に10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会への出席を』と求めたという。
石原氏は、皇太子さまの五輪誘致支援を実現させるべく、官邸に働きかけた。 7月1日、石原氏は森喜朗元首相と官邸を訪れ、招致の顔として皇太子さまの協力を得たい、と福田康夫首相(当時)に伝えたのだ。
https://dot.asahi.com/dot/2022020500006.html?page=1
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「木っ端役人がこんな、大事な問題を……」
https://dot.asahi.com/dot/2022020500006.html?page=2
3: 名無しさん@恐縮です 2022/02/05(土) 18:31:54.31 1VXZolyi0.net
反皇室のくせして五輪招致に使おうとしたのか
クズやないか
7: 名無しさん@恐縮です 2022/02/05(土) 18:37:33.23 SZA9ZOFR0.net
不敬じゃねーかよ
なんでもかんでも持ち上げるな
139: 名無しさん@恐縮です 2022/02/05(土) 22:26:57.63 BLnm1kc10.net
ただの目立ちたがり屋の逆張りおじさんだったのか
今で言えばハードボイルドなひろゆきだな
153: 名無しさん@恐縮です 2022/02/06(日) 00:17:05.66 LU9ieWVY0.net
本当に反皇室なら東京都知事とかなれないでしょう?w
156: 名無しさん@恐縮です 2022/02/06(日) 00:51:03.52 vzxAJLvk0.net
男だねえも今ならアウトなんだよ…
175: 名無しさん@恐縮です 2022/02/06(日) 05:12:08.06 ScjONe8G0.net
天皇制などというおぞましい天皇の政治利用制度ができたのは明治以降である
さっさと無くしてしまえば彼らは自由に伝統を存続することができる
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1644053331/